2013年06月19日
父の日、今日は福岡大空襲の日
日曜日は「父の日」でした・・
「母の日ほどの盛り上がりはなかったような・・」と、
情報番組でも聞かれた通り・・
息子も「父の日って、いつやったっけ?」と、前日に・・・
しかも、父の前で・・
息子を連れて仕込み
の買い物に行きました 
その父である、乗馬クラブの代表も、かつてそんな父の日を母と過ごしたのでしょうか?
その代表の父の写真をご紹介。真ん中の馬主さんです。
ガッシリとした体つきで、多くを語らず、威厳があり、気前もいい。
大工仕事で鍛えた大きな手。
川魚と、義母の作る「がめ煮」が好き。
がめ煮=筑前煮
きっと義母のことも大好き
嫁として家族になって数年間の私の義父の印象です。
私の知らない頃の義父。優勝の記念撮影。嬉しそう

代表が小学生の頃の写真だそうです。
実家の座敷に大事に飾られてます。
まるで代表が乗馬を始めるきっかけのような写真なので話を聞きました。
乗馬を始めたのは小5の頃。
当時、久留米市にあった乗馬クラブ「九州ライディングパーク」。

2才上の兄が始めたのを追いかけるようにジュニアメンバーとして。
乗馬クラブまで自転車で、毎日通ったそうです。
頭の中は、「馬が欲しい
」でいっぱいに・・
乗馬をする多くの人が夢見ること
夢見る少年に、「馬、買ってやったぞ!」と・・・父。
何て幸せな少年期を過ごしたのでしょう・・・
でも、父は、「競走馬」を購入。
少年の「僕の馬」の夢は・・・
代表が乗馬クラブで練習を頑張る一方、父は愛馬に随分愛情を注いだそうです
母は「随分お金が掛かった・・」と、懐かしく話してくれます。
代表が高校時代、国体出場の際は、父は親戚も連れ応援に行ってくれたそうです。
<1981年、滋賀県びわこ国体>

趣味の乗馬には全面協力の父でしたが、乗馬を将来の仕事にすることには、大反対。
高校卒業後は、父の勧めもあり歯科技工士の学校へ進学し2年後卒業。
歯科技工士の「国家資格」の保有者です
実践がないとただの保有者 
卒業後は、歯科技工士として就職先のメドがついたにもかかわらず、
父の引き留める言葉も聞かず、小学生の頃からの夢に向かって進み始めたそうです。
まず、お金を貯め、その年の内に乗馬の恩師を追い、大阪の乗馬クラブに就職したそうです。
大阪での修行を経て、乗馬クラブ準備に帰郷後は、さらに、競走馬扱いの技術磨きの為、佐賀競馬場勤務や、資金を貯める為の肉体労働のアルバイト生活。
そして、1991年「加月乗馬クラブ」オープン時は、反対していた父も、応援するばかりの立場でいてくれたそうです。
毎朝、起こすところから、うんざりするくらい言葉でのコミュニケーションの必要がある私と息子の関係(多くの母と息子はこうじゃないかと・・・
)
一方、多くを語らずも成立していた義父と代表の父子関係。
代表と息子二人もこれから、かつての親子関係のようにうまくいくのを願うばかりです。
「おやこ」・・文字変換すると、「親子」か「母娘」しか出てきません・・・
やはり、「母の日」の方がクローズアップされるのは仕方ない?
その義父は、7年前に他界。クラブ移転の年。
移転数年前から入院と退院とで、今の乗馬クラブには来られずじまい
義父の入院中、移転前の乗馬クラブの近くのお花屋さんで少しのお花を買ってお見舞いに行ってました。
病室のベッド脇で枯れることがないよう少しの量ですが・・何度も。
もう10年近くも前の事ですが、そのお花屋さんのスタッフのお一人は、当時の事を覚えて下さってます
ここ数年、「父の日」には、義父の仏壇に、そのお花屋さんで選ぶお花。
今年は、黄色とオレンジ色のバラを購入。そのスタッフの方のアドバイスももらい、
グリーンも添えて一緒に購入した花瓶にすぐ飾れるように切りそろえてもらいました。

6月19日
68年前の今日は、福岡大空襲の日です。
西日本新聞の「もの知りタイムズ」・・子供向け欄にも掲載されています。
「1945年にあった九州の主な空襲」の一覧もあります。
3月18日~終戦まで、九州各地も多くの場所で、空襲の被害にあわれた方が沢山いらっしゃいると、子供にも分かりやすく載せてくださってます。
その中、久留米市の空襲の焼け野原の写真も一緒に・・・。
今回のブログの主役、代表の父も空襲を経験した年代。
父は、大刀洗飛行場で被害にあったそうです。
戦地へ向かう飛行機の整備の仕事をする18歳の頃。
代表が国体出場した年齢。
息子もあと数年でその年齢。
何か、感じてくれれば・・・と、長々ページになりました
大刀洗飛行場http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80%E6%B4%97%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4
「母の日ほどの盛り上がりはなかったような・・」と、
情報番組でも聞かれた通り・・
息子も「父の日って、いつやったっけ?」と、前日に・・・
しかも、父の前で・・

息子を連れて仕込み


その父である、乗馬クラブの代表も、かつてそんな父の日を母と過ごしたのでしょうか?
その代表の父の写真をご紹介。真ん中の馬主さんです。
ガッシリとした体つきで、多くを語らず、威厳があり、気前もいい。
大工仕事で鍛えた大きな手。
川魚と、義母の作る「がめ煮」が好き。

きっと義母のことも大好き

嫁として家族になって数年間の私の義父の印象です。
私の知らない頃の義父。優勝の記念撮影。嬉しそう

代表が小学生の頃の写真だそうです。
実家の座敷に大事に飾られてます。
まるで代表が乗馬を始めるきっかけのような写真なので話を聞きました。
乗馬を始めたのは小5の頃。
当時、久留米市にあった乗馬クラブ「九州ライディングパーク」。

2才上の兄が始めたのを追いかけるようにジュニアメンバーとして。
乗馬クラブまで自転車で、毎日通ったそうです。
頭の中は、「馬が欲しい

乗馬をする多くの人が夢見ること

夢見る少年に、「馬、買ってやったぞ!」と・・・父。
何て幸せな少年期を過ごしたのでしょう・・・
でも、父は、「競走馬」を購入。
少年の「僕の馬」の夢は・・・

代表が乗馬クラブで練習を頑張る一方、父は愛馬に随分愛情を注いだそうです

母は「随分お金が掛かった・・」と、懐かしく話してくれます。
代表が高校時代、国体出場の際は、父は親戚も連れ応援に行ってくれたそうです。
<1981年、滋賀県びわこ国体>

趣味の乗馬には全面協力の父でしたが、乗馬を将来の仕事にすることには、大反対。
高校卒業後は、父の勧めもあり歯科技工士の学校へ進学し2年後卒業。
歯科技工士の「国家資格」の保有者です


卒業後は、歯科技工士として就職先のメドがついたにもかかわらず、
父の引き留める言葉も聞かず、小学生の頃からの夢に向かって進み始めたそうです。
まず、お金を貯め、その年の内に乗馬の恩師を追い、大阪の乗馬クラブに就職したそうです。
大阪での修行を経て、乗馬クラブ準備に帰郷後は、さらに、競走馬扱いの技術磨きの為、佐賀競馬場勤務や、資金を貯める為の肉体労働のアルバイト生活。
そして、1991年「加月乗馬クラブ」オープン時は、反対していた父も、応援するばかりの立場でいてくれたそうです。
毎朝、起こすところから、うんざりするくらい言葉でのコミュニケーションの必要がある私と息子の関係(多くの母と息子はこうじゃないかと・・・

一方、多くを語らずも成立していた義父と代表の父子関係。
代表と息子二人もこれから、かつての親子関係のようにうまくいくのを願うばかりです。
「おやこ」・・文字変換すると、「親子」か「母娘」しか出てきません・・・
やはり、「母の日」の方がクローズアップされるのは仕方ない?
その義父は、7年前に他界。クラブ移転の年。
移転数年前から入院と退院とで、今の乗馬クラブには来られずじまい

義父の入院中、移転前の乗馬クラブの近くのお花屋さんで少しのお花を買ってお見舞いに行ってました。
病室のベッド脇で枯れることがないよう少しの量ですが・・何度も。
もう10年近くも前の事ですが、そのお花屋さんのスタッフのお一人は、当時の事を覚えて下さってます

ここ数年、「父の日」には、義父の仏壇に、そのお花屋さんで選ぶお花。
今年は、黄色とオレンジ色のバラを購入。そのスタッフの方のアドバイスももらい、
グリーンも添えて一緒に購入した花瓶にすぐ飾れるように切りそろえてもらいました。
6月19日
68年前の今日は、福岡大空襲の日です。
西日本新聞の「もの知りタイムズ」・・子供向け欄にも掲載されています。
「1945年にあった九州の主な空襲」の一覧もあります。
3月18日~終戦まで、九州各地も多くの場所で、空襲の被害にあわれた方が沢山いらっしゃいると、子供にも分かりやすく載せてくださってます。
その中、久留米市の空襲の焼け野原の写真も一緒に・・・。
今回のブログの主役、代表の父も空襲を経験した年代。
父は、大刀洗飛行場で被害にあったそうです。
戦地へ向かう飛行機の整備の仕事をする18歳の頃。
代表が国体出場した年齢。
息子もあと数年でその年齢。
何か、感じてくれれば・・・と、長々ページになりました

大刀洗飛行場http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80%E6%B4%97%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4
Posted by デニシュ・ファン at 22:03│Comments(0)
│クラブのこと
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