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2017年03月25日

加月代表の叔父

馬上の紳士は俳優、石橋凌さん。
隣は代表の叔父、亡くなった父の弟。

クラブオープンから2年後の1993年の表示が写真の隅に記された、二人ともに若い頃の写真です。



本日、叔父のお葬式に行きました。
レッスンを繰り上げていただいた皆様ありがとうございました。
昼のエサ付けは息子2人にたのみ、お客様にもお手伝いいただいたと思います。
少し❓失敗もあったようですが、夜のエサまで息子達に任せました。
突然の訃報でしたが、叔父とのお別れがちゃんとでき良かったです。

叔父には、代表の高校後の進路に大きく影響を受けたと聞いてます。
叔父は、福岡教育大学卒業から高校の数学の教師として、福岡県立久留米高校、八女工業高校に赴任してました。
昨夜のお通夜も今日も多くの教え子さんたちがお参りくださってました。
その教え子さんの一人が久留米高校出身の石橋凌さんです。
参列こそなさいませんが、大きな花輪が届いてました。
先生役をされるにあたって、モデルになる先生が叔父だったそうです。
そのエピソード番組の撮影も兼ねてお見えになった時の写真です。

加月代表が影響を受けたというのは、
高校卒業後は、東京の大学へ馬術推薦で入学をほぼ決めてた頃、叔父の一言が大きく左右されたそうです。
その一言で、目が覚めたそうです。
「四年大学。卒業しないと意味がない。
勉強がついていけないなら、推薦で入学は、思い直すがいい。」と。
叔父のアドバイスにより、馬術推薦の大学進学は断念。
2年間は、畑違いの勉強はしましたが、大阪の杉谷乗馬クラブへ恩師を慕って就職。
佐賀競馬での厩務員、お金を貯める為の力仕事のアルバイト。
全ては乗馬クラブオープンの為の修行。

クラブ設立の最初の選択肢の決定に叔父の言葉の力は大きかったのです。

クラブにはよく立ち寄ってもらい、毎冬になるパール柑の木は叔父からのプレゼントでした。
叔父の息子さんは、叔父に連れさられクラブのボロの山にカブト虫の幼虫を探しにきていたと話をききました。

あと、叔父の趣味が高じて定年後は窯元をつくり陶芸家としてたのしまれてました。
大好きな叔父の作品です。



沢山の花々と生演奏の音楽に送られたお葬式でした。
今日は福岡で開花宣言したのかな?

わたしには、叔父の祭壇のが初桜でした
そして、自宅では叔父の作品を見ながら、今夜は夜桜見てる気分です

叔父さん、どうぞ安らかに・・

  


Posted by デニシュ・ファン at 22:59Comments(0)クラブのこと